ピコシムのブログ

社会の出来事を「なぜ?だから何なの?」の視点で探ります

なぜ日本人は議論や質問が苦手なのか

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自分の意見を主体的に伝えることは、特に欧米諸国では当たり前です。ティーンネイジャーでも積極的に発言します。しかし、日本だけは違います。

 

中学校の授業での出来事。

先生が生徒に「質問がある人は手を挙げて下さい。」

生徒「シーン・・・(誰も手を挙げない)」

中学校の授業時間でよくある光景です。これは、高校や多くの大学でも同じです。

世界から見ると不思議な光景です。

  

なぜでしょうか?

  • シャイな国民性だから
  • 質問することを好まない国民性だから
  • 空気を読んで敢えて自分の意見を出さない

私たちは、ほぼ全員が小学校、中学校の義務教育を9年間、高校3年間の12年間を過ごしてきました。うち、約4割は大学や大学院に行きます。

主体的に自分の意見を伝えることは大切なことですが、それが当たり前に許されるのは、私が大学院生になって研究をするようになってからでした。

何が問題なのか

  • 中学時代の日欧の教育の違い
  • 同質を好み異質を排除する文化
  • 議論のルールが教育されていないこと
  • 1クラスの人数が31人~40人と多い

日本のティーンは集団行動を徹底的に叩き込まれる

欧米のティーンたちは、自分の意見を話せる一方で、日本のティーンたちは「自分の意見を主体的に話す機会」がほとんどありません。

弁論大会のような自分の考えを全体に伝える場は、限られた学年のたった1人だけがする特別なものです。

その代わり、日本では中学校で4人ずつの小グループ話し合いがあります。小さなグループは小学校で慣れているので話しやすいのです。

 

一方で、日本のティーンは「集団行動」を徹底的に叩きこまれます。

中1の1学期にある「行進」の授業

みなさんの中1の1学期を思い出して下さい。体育の時間に、校庭を何周も行進しませんでしたか?

文部科学省の学習指導要領にある、日本人としての嗜みを身につけるカリキュラムの一つです。

文部科学省の中学の保健体育の学習指導要領には

集団として必要な行動の仕方を身に付け,能率的で安全な集団としての行動ができるようにすることは,運動の学習においても大切なことである。

なお,集団行動の指導の効果を上げるためには,保健体育科だけでなく,学校の教育活動全体において指導するよう配慮する必要がある。

とあります。

体育の授業や学年集会では、一糸乱れぬ行進を何度も繰り返し行います。

校庭の周りをグルグル行進して、一人でも手足が乱れると、名指しで先生からの怒号が飛び、連帯責任として何周も行進が続いたことは読者の方も記憶にあるのではないでしょうか。

中学校では、

個人が「誰かに、自分の意見を伝える訓練」よりも、

「集団の利益を優先して国力増大を図るための教育」が、明治以降100年以上続いてきました。

この結果、日本のティーンたちは、集団からはみ出す行為は悪いことだと学びます。先生に意見をすることは許されませんし、疑問に感じても口に出してはいけません。

集団行動を通じて、全体に迷惑をかけないために、苦痛な時間を早く終わらせるために、何も考えず行動することが求められます。

先生から、

「社会に出ればもっと理不尽なことはたくさんある。君たちは市内の中学校で、1番ダラダラ行進している!」などと言われれば、

その真意はどうでもよく、先生が満足できるクオリティになるまで仕上げなければなりません。

これによって今日に至るブラック企業の温床が出来上がりました。

全体に迷惑をかけてはいけないという思想です。

  • 有給休暇をとること
  • 一人だけ残業をせず定時で帰ること
  • 育児休暇をとること

が、日本社会に定着しないのは、中学時代の古い記憶と体験が根底にあります。

個人より集団の意思を優先するため、個人の都合が犠牲になります。日本のOECDでの生産性が最下位の理由は、中学時代の学校教育にも一つの原因があります。

異質を排除する特殊な空気

思春期の子どもたちは、クラスの空気を敏感に察知します。

小学校時代の自由な空気とは真逆の、管理・監視されている空気です。校則は細部に至るまで決められており、髪の長さ、髪の色、ズボンの丈、スカートの丈、靴下の色、持ち物(携帯電話禁止、ペットボトル飲料禁止、現金の所持禁止、腕時計禁止)など全てが決められています。個人の裁量がほとんどありません。

そして、みんなと同質であることが求められます。

自分がクラスの集団と比較して異質であることは、イジメや仲間外れ、陰口の対象となります。

例えば、英語の発音をネイティブのように正しく発音することは、集団の中の異質な存在として攻撃の対象になります。みんなカタカナ英語で喋っていればそれに合わせなければ身の安全が図れません。

議論にならないのは教育の問題

学級会議で文化祭で何をやるか話し合いがありました。

相手の意見と違う場合、自分の意見を述べることは、和を持って尊しとなす日本文化にとって異質な存在ため、

その人の人格を否定していると見做されて、恨みを買い攻撃の対象となります。

議論は、他者と意見を交換して何を考えているか知ることが目的です。

人格を攻撃したり、議論とは別の言葉尻をつかまえて攻撃することが不毛なのは、2chの匿名掲示板を見ても明らかです。

国際的に見て非常にレベルが低い話ですが、この問題は教育によって知性を養う必要があります。

ある知り合いの中学校の校長先生は、誰かに自分の意見に反論されると、人格が否定されたようで気分が悪いそうなのですが、これが一般的な日本人の感覚です。

学校現場でこうなので、日本社会全体で議論にならない議論が、日々延々繰り返されていることは社会的大損失です。

教育課題として議論のルールは国民に広く周知されるべきです。

授業で誰も質問しないのは日本特有か

授業の最後に先生が「質問ある人はいますか?」と聞いても、だいたい無反応です。沈黙してひたすら自分が当てられないことを祈ります。

なぜなら、質問をすると

  • 自分の無知をクラスメート全員に知らしめる恥ずかしい行為で
  • 誰も質問しなければ、授業が早く終わることをクラスの全員が知っているので

質問に手を挙げるのは個人と集団の利益の両方に反するのです。

なるべく目立たず、無難に生きていくことこそが、中学・高校時代を生き抜く為に必要だと「中1の1学期」に学習するのです。

本来、これは誤った認識として、中1の1学期の早い段階で先生が生徒に指導しなければなりません。

  • 分からなくてもいいから積極的に発言する
  • 分からないこと、疑問に思ったことはすぐに聞く 

外資系コンサルティングファームの社員はこの基本を会社に叩きこまれます。

しかし、その他大勢の日本人は、大人になってからもセミナーで自ら手を上げて質問する人は稀です。

 

世界の常識から遮断された中学校の集団の中で、今日も先生の問いかけに無反応な授業が、何世代にも渡って日々繰り返されています。

先輩・後輩、先生との上下関係

中学1年生にとって先輩は中2、中3の人たちです。部活動では必ず先輩の意見に従わなければいけません。自分の意見を言うことはご法度です。

先輩に「あなたはどう思うの?」と聞かれたら、先輩と同じですと答えなければいけません。そこに言論の自由はありません。

また、先生の質問に(先生の期待する)正解以外の答えを言うことは、暗黙のルールで禁止されています。テストの問題には正解と不正解しかないように、先生の質問にも模範解答があります。

先生の言っていることが明らかに間違っていても、それについて指摘したり意見してはいけません。

先生もまた、議論をしたことがないので、「メンツを潰された」「人格を否定された」と思い込み、高校進学に必要な内申点が落とされてしまった生徒は大変です。

「寄らば大樹の陰」の精神は、組織の健全性を著しく損なうので注意が必要です。

世界平均より多い1クラスの人数

クラスあたりの人数が多いので、どうしても自分の意見を伝えにくくなります。毎日同じ顔を合わせるクラスメイトですので、なるべく平穏に過ごしたいのです。

中学校1クラスの学級人数(OECD加盟国)

イギリス   19.5人

フィンランド 20.3人

イタリア   21.6人

アメリカ   23.2人

OECD平均  23.3人

ドイツ    24.6人

フランス   24.7人

日本     32.7人

韓国     34.0人

(出典:図表で見る教育2013年版)

日本では近年少子化になり、1クラスあたりの人数が標準40人から下がりました。

ただ、世界的に見るとまだまだ1クラスあたりの人数が平均より9名も多いのです。

 少人数で議論するのに32人だと、大人でも発言しにくいです。

これは、日本の学校教育制度に問題があります。

★★★★

中学校生活は、外部の世界との繋がりを閉ざされ、抑圧された世界の中にいるので、本音と建前を使い分ける能力が身につきます。

常に学校の中では集団に監視されているので、気の知れた友人と誰もいない放課後の帰り道に、

 A君「◯◯先輩って言ってることと行動が全然合ってないよね!」

B君「◯◯先輩って凄く威張っているけど、全然大したことないよね!」

A君「◯◯先生の英語の授業は全然おもしろくないし、退屈なんだよね」

B君「ほんとそうだよね!」

 と、愚痴を言ってストレスを解消します。あまり建設的ではありませんが、議論も意見交換もできないので、改善の余地がありません。

大人の世界も同じです。社会が停滞して、個人の成長が阻害されるのは仕方ありません。

 

で、どうすればいいのか

学校教育に集団行動と同じように、議論のルールを授業で取り入れる

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  • リラックスした状態で、4人一組で席に着き、テーマを決めて、紙に自分の意見を書いていきます。
  • 1定時間が過ぎたら、どんなアイディアがあったかグループで発表します。
  • 4人のうち3人が他のテーブルに行きます。
  • 残った1人は、新しく来た3人にどんな意見やアイディアがあったか話します。
  • 参加者全員でアイディアを共有します。

他の人のアイディアは、「面白いね」とか「いいアイディアだね」と認めます。

 

この方法で、年齢の違いや立場の違いなどを気にせず、お互いの情報を共有できます。参加者同士の信頼関係を高めることが出来ます。

この方法は、高校生と大学生、中学生と高校生など年齢や立場が違っても有効です。

学校の先生方はぜひ授業に取り入れてみてはいかがでしょうか。

会社の会議でも有効かも。

 

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20世紀は、工場労働者を大量に作ることが求められていました。産業構造の転換により、2次産業から3次産業にシフトしました。

この先、多くの人はロボットに仕事を奪われます。

「創造性」「イノベーション」「グローバルリーダー」の育成が、文科省を中心に求められている中で、自分の意見を伝えられる空気ができると、もっと良い社会になるかも。

 

id:picsim

最後までお読み頂きありがとうございます!

次回もお楽しみに!

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