世の中には議論ができる人と、できない人がいます。
日本人で議論ができる人は少数派で、できない人が多数派ですので、多くの議論は混乱しています。
googleで検索すると、
『議論にならない』1,390万件
『会議 長時間』3,950万件
『空気 読む』 92万件
ですので、議論にならないことに問題意識を持っている人が大勢います。
また、不毛な議論の結果、会議が長時間行われることに不満を持つ人が多くいることが推測されます。
一方、空気を読める人はたくさんいるので、検索結果が少ないです。
議論とは何か
議論の定義:
それぞれの考えを述べて論じあうこと(三省堂)
互いの意見を述べて論じ合うこと(大辞林)
なぜ議論にならないか=練習していないから
日本では、明治以降の学校教育の中で『議論の練習』が重要視されてきませんでした。
国語は主に、読み書き、道徳的な作文・名作鑑賞・文章解釈の教育に重点がおかれてきました。
試験で出題者の意図を汲み取り、文章解釈を正しく回答できる人材を育成してきました。明治期に導入された外国語の長文解釈法を、国語にも取り入れたからでした。
その結果、国語のテストでは、道徳的な視点で出題者の気持ちになって、主人公はどう感じたか、作者は何を伝えたかったか、指示語「それ」は何を意味するか、などの読解力が強化されました。
しかし一方で、
- 自分で課題を発見して論理的に思考して文章にまとめる能力
- 他者と意見を交わし、課題の解決案をまとめる訓練
は、全くされてきませんでした。
その結果、
- 議論をしてもすぐに感情的になる人
- 自分と意見が違う人に対して拒絶反応を持つ人
- 議論の本題とは関係ないことで反論する人
- 道徳的価値観に執着して議論を混乱させる人
- 問題の解決よりも、犯人探しや犯人への集中砲火に躍起になる人
が大量生産されて、国政や地方議会、社内会議から町内会の寄り合いまで、課題解決のための議論が停滞する原因になっています。
議論ができないと何が問題か
ご存知の通り、議論のルールを知らないまま大人になると、国のあらゆる組織やコミュニティで問題の解決が遅延して非効率になります。
- 意見が許されない空気(同調の圧力)
- なんとなく場の空気で重要な事が決まる(当事者意識の欠如)
- 問題が深刻な事態になるまで放置(問題の先送り)
- 重大な事故が起きたとき、犯人探しに躍起で、組織的にシステムの欠陥が改善されない(失敗の本質を学習しない)
文化的背景
- 互いの意見を話し合う習慣がない
- 議論や話し合いは建前で、本音は陰でこっそり話すもの
- 若年者が年長者に自分の意見を話すことは許されない侍文化
その結果、あらゆる組織やコミュニティーで、問題解決のための意見すら言えない空気が、先行きの不安や閉塞感を生み出しています。
これらの問題の根源は、国語教育に問題があったのではないかと仮説を立てました。
なぜなら、国語は国の教育思想が顕著に表れる科目だからです。
国語教育の歴史
国語研究の論文、著書などを調べた結果、ざっくり説明すると、6つの歴史に分けられます。
明治~大正 国語の全国統一と普及(正しい発音、正しい書き方)
昭和(戦前戦中)思想統制、上意下達の国語重視
昭和(戦後)~昭和30年代 コミュニケーション重視(アメリカ式実用主義)
昭和33(1968)年~昭和59(1985)年 「読み書き」読解力を重視
昭和60(1985)年~平成11(1999)年「読み書き」と「聞く話す」能力強化時代
(平成 ゆとり教育で授業時間削減)
平成12(2000)年~「読み書き聞く」+「言語能力」
※言語能力は、自分の考えを持ち論理的に意見を述べる能力
国語は、国が国民をどのように教育するかを時代を反映していることが分かります
では、詳しく見てみましょう。
国語科年表
1872年(明治5年) 学制公布
綴字、習字、単語、会話、読本論講、文法、作文
この頃、学校は地域の有力者の資金出資によって建設
1879年(明治12年) 教育令公布
読書、習字、(会話科廃止)
1900年(明治33年) 小学校令公布 就学義務の強化
国語科の設置 読み方、書き方、綴り方、話し方(訛の矯正)
国語科の原型は120年前につくられました。
1904年(明治37年) 第一次国定教科書 尋常小学校読本 文体『ですます調』を採用
課題:国言葉の訛音の矯正 文語体から口語体へ移行
明治40年前後 入学試験の国語の問題は文の解釈中心(現在まで変わらず)
1911年(明治44年) 話し方が正式に文科省の教授科目に示される
大正時代
大正デモクラシーで文学界が自由で個性的な思潮、人道主義的、人樺派の台頭
- この頃、旧制中学校の国語科の授業は文芸的な傾向を強める
- 話し言葉教育から作文教育を推進
昭和時代
1928年(昭和3年) 中学校令改正 学校目標は『思想善導』の思想取締強化、 学問の自由を規制。
天皇暗殺未遂テロが発生したため、帝国政府が治安維持法で取締強化。
文部省は高学歴の大学生の思想左傾化を防ぐ目的で、食堂、売店、宿舎、学費補助など福利厚生施設を充実させました。
1933年(昭和8年) 第4期国定教科書使用 国語教科書は『文学的色彩が強くなる』
1935年(昭和10年) 日中戦争で思想統制が強化され、文学作品教材が半減
国語の軍国調教材が多くなる。この頃、言葉は意味の通じ合いから『上意下達』が重要になる。話し方、聞き方の教育を強化。
1941年(昭和16年) 戦時体制で国民学校令公布
国語は正しい発音での話し方が最重要となる
『国民科国語』に変更、講読、文法、作文、話し方(古典の読解に重点)
国民詩・愛国詩朗読運動で文学作品の朗読が推奨される。毎朝ラジオで放送される
学校では古事記、太平記、暗夜行路、蜘蛛の糸を朗読
1945年(昭和20年)終戦
1947年(昭和22年) 教育基本法・学校教育法公布
連合国軍統治下で、国語教育はアメリカの経験主義やアメリカ的実用主義を導入
「言語技術の習得」や「生徒の興味と必要に応じた多面的な学習活動の立場」
昭和30年代:コミュニケーション重視時代の到来
→この時代に教育を受けた団塊世代は、積極的に社会問題に関心を持ち議論するようになった結果、学生運動(安保闘争や学内紛争)が活発になった
1958年(昭和33年) 学習指導要領改訂
日本に主権が戻りました。国語教育も日本人の教育思想が反映されます。
コミュニケーション重視を廃止
「読み書き」重視に転換、読解力の向上、文学作品のなかで言葉を取り上げ、言葉を教える授業方式になる
日本人としての空気を読める人を育成へ
1968年(昭和43年) 学習指導要領改訂
正確な国語能力の向上
小学校「読み書き能力」の充実、中学校「理解と表現力」の向上へ
聞くこと、話すことは学習上重視されず
高度経済成長に向けた工場労働者向け人材の育成
1977年(昭和52年) 学習指導要領改訂
表現、理解、言語事項に学習概念が変更される
聞くこと、話すことは学習上重視されず
結果、昭和60年代に学生の正確に聞く、話す能力の低下が課題になる
朗読が重要視されるようになる
平成期
1992年(平成4年) 学習指導要領改定
新しい学力、個性を生かす教育を目指すため授業時間削減へ
2002年(平成14年) 学習指導要領改定
自ら学び考える力「生きる力」の育成を基本とする
- 自分の考えを持つこと
- 論理的に意見を述べる能力
- 目的や場面などに応じて適切に表現する能力
- 目的に応じて的確に読み取る能力
- 読書に親しむ態度を育てることを重視する
が重視されるようになります。
国語の領域に、「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」に「言語事項」が追加される。
このように、国語教育の歴史をたどると、国の教育方針がよくわかります。
国語科の歴史から何が言えのか
明治→最低限「書く、話せる」ができる人間の育成
戦前→戦争で部隊の命令で意思疎通を図るための訓練
戦後→日本語を正確に使える工場労働者の育成
平成→情報化社会、自分の意見や議論できる人間の育成
時代のニーズによって、必要な人材を国が教育によってコントロールしていると言えるでしょう。
議論ができないのは日本人の特性という反論
そんなことを言っても、日本人はもともと
- 和をもって尊しとなす民族で
- 言葉は伝えるものでなく伝わるもの『以心伝心』
- 口は災いのもと
- 寄らば大樹の陰
といった、思想を持っているのだから、積極的に自分の意見を発言することは、上下関係や立場を意識して慎むべきことと教育されてきています。
一方で、居酒屋や井戸端会議で、言えなかった不満が悪口大会となってしまい、不毛なことになっています。
ですが、これは学校教育の基本である国語科の果たした歴史的結末なのではないでしょうか。
議論の目的と作法
議論の目的は、様々な意見から最適解を出すことです
- 議論しやすい空気をつくる
- 他人の話を最後まで聞く
- 議論とは関係ない人格攻撃をしない
- 議論のあとに蒸し返さない
など、目的や基本作法があります。
今回は、議論のルールについては割愛しますが、多くの著書がでていますので、議論を取り仕切る部長、課長、チームリーダーは、生産性を上げるために参考にすると良いでしょう。
参考:
CiNii 論文 - 昭和初期の高等教育における苦学生救済と思想善導(III-9 教育の歴史(3))保田その
最後までお読み頂きありがとうございます!
次回もお楽しみに!