ピコシムのブログ

社会の出来事を「なぜ?だから何なの?」の視点で探ります

20代の発達障害だった知り合いが亡くなった

こんにちは、ピコシムです。

長らくブログを書いていなくて、本当にオバケのように消えてしまったので、心配してくださるフォローワーさんから連絡が来ました。

 

大丈夫です。ピコシムは生きています!

今回は、久々なんですが、極めてショッキングな出来事が起きたので、かなり落ち込んでいました。ちょっと重い内容ですが、泣きながらブログに想いを綴りました。

 

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今年の年末年始、久々に実家で過ごした。

ここ数年仕事だったり、海外に行っていたりで全然帰らずにいた。

家族4人全員集まって実家で正月を迎えるのは、数年ぶりだった。

 

こたつに入りお菓子を食べてながら、母から地元のニュースをいろいろ聞かされた。

小学校のときの○○ちゃんが、結婚したとか。近所の同級生の○○さんが引っ越したとか、実家に帰るとあるあるだ。

 

母の声が小声になった
「実はね、今年"A"おばさんから朝方電話があってね、亡くなったんよ。てっきりおじいさんの方かと思っていたら、息子の "a" くんが。自殺で。突然だったんだ」

20代後半の"a"くんは発達障害があった。

彼が、まだ学生の頃、聴覚過敏や学習障害があるという話は前から聞いていたし、学校を卒業して働いているという話も母から聞いていた。

 

"A"おばさんは、母の高校時代の同級生の友人で、よく実家に遊びに来る。となり町に住んでいておじいさんが農家をやっていて、その地域の農協に出荷していた。

毎年秋頃、収穫した作物をいつもおすそ分けして頂いていた。地元にいた頃はよくお歳暮やお中元を持って出かけていた。

 

母曰く、無事お葬式も終わってね、お父さんはガックリして、お母さんも可哀想でね。掛ける言葉もなかったそう。

 

私は亡くなった"a"くんを、赤ちゃんの頃から知っていた。彼がまだ歩きはじめたときも、小学生になって畑を走り回っていた姿も、中学生なって、大きくなった早いね〜なんて言っていた記憶もある。

 

おばさんの悲しい表情がすぐに脳裏浮かび、時間が経つと共に、"a"くんを思い出し涙があふれた。本当に可哀想に。。。

とても他人事とは思えない。一歩間違えたら、自分もそうなるのではないか、と。

"a"くんは自分だったかもしれない。

  

今回、実家に帰ったとき自分がADHDであると告白しようと思ったが、その話を聞いて取りやめた。身近にそんな事件が起きるとは想像もしなかった。何より親を心配させそうだったからだ。

 

彼が、何でそんな早く逝ってしまうなんて、という想いは当然ある。なぜ死んでしまうくらいなら相談しなかったのか。なぜそんな簡単に… いまは思い出すたびただただ悲しい。

残された家族を思うと本当に不憫でならない。

自分が死んでしまったとき、Aくんの家族を自分の両親に重ねて見えてしまい、しばらくうつむいて玄関へ向かった。

 

地元の夜の街は東京のそれよりも暗く、肌に突き刺さるような寒さは、深い溜め息を白く残し、少し雪が残って路面がキラキラ光る凍った上り坂をすり足で歩いて、子供のころよく遊んだ坂の上にある公園向かった。

市街地を見下ろせて、遠くに電車や車が走っている。

空は港があり水平線が見える。工場の煙突は明るい炎が見える。あの頃いつもみていた景色は、やがてささくれ立った心を落ち着かせてくれた。

 

彼は死に追い込まれるくらい本当に大変だったんだろう。

聴覚過敏や学習障害はとっても大変だ。私はそうじゃないけれど、すっごくよく分かる。程度の差はあれ、生きていくには言葉に出来ないほど辛かったんだろう。もしかすると、何らかのうつ病などの二次障害があったのかもしれない。

 

今はただ彼には、あの世でゆっくり休んで欲しい。今まで本当にお疲れ様でしたと手を合わせた。

 

来世はきっと、発達障害のない身体で生まれきて、穏やかな人生を歩んでほしい。

たとえ何かの障害があっても、医療技術が発達して、普通の人並みに生きれる世界であってほしい。

今よりもテクノロジー進歩して、発達障害の苦しみから解放される世界であってほしい。

何より、障害があってもそれを隠さず、安心して学校で学び、安心して職場で働けて、人並みに生活できる世界であってほしい。

 

しかし、それすら叶わない世界が蔓延っている。批判を承知で言うと、せめて、本人や家族の同意の下で安楽死が選択できる世の中になって欲しい。突然の訃報を聞かさえる家族がいるより余程その方がまだ救われるではないか。

 

彼に対して同情する気持ちと、彼の死を否定したい感情が交錯して、またやり場のない悲しみが込み上げた。

 

どんな気持ちだったんだろうか。これまでの彼の人生はあまりに困難が多かったことは明らかだ。

 

*****

 

マサチューセッツ工科大学のヒューハー博士の言葉を思い出した。

学生の頃、雪山登山で凍傷になり両足を切断した博士。神経細胞の電気信号と、メカニックをリンクさせたバイオニック義足を作り、アメリカの公的医療保険を適用できるようにしたスゴイ人だ。

 

www.youtube.com

TEDの動画で、ヒューハー博士のプレゼンテーションでは、こんなことを言っている

It’s not well appreciated, but over half of the world’s population suffers from some from of cognitive, emotional, sensory or motor condition, 

あまり知られていませんが、世界の半数の人が、何らかの認知、感情、感覚、運動の機能障害の一形態に苦しんでいます  

and because of poor technology,too often, conditions result in disability and a poorer quality of life.

そして技術の貧しさのために、そうした状態や障害が生活の質の低下につながることがあまりに多いのです

Basic levels of physiological function should be a part of our human rights.

基本的なレベルの生体機能は人権の一部として保証されるべきなのです

Every person should have the right to live life without disability if they so choose.

すべての人は望めば障害のない一生を送る権利を持つべきです

If we accept the proposition that humans are not disabled.

もし人間に障害がないという考えを受け入れれば、

A person can never be broken.

人は決して壊れるこはありません

We the people need not accept our limitations.

我々人間は限界を受け入れる必要などありません

but can transcend disability through technological innovation.

障害を技術革新によって乗り越えることができるのです

 

私はこの言葉がとても好きだ。動画をみるたび、不意に涙を流してしまうぐらい、心に刺さる。

 

私もテクノロジーと医学の発展に支えられて生きている一人だ。デジタル補聴器によって聴覚機能がサポートされ、ADHDの処方薬、ストラテラ(アトモキセチン)によって、脳の処理機能が向上している。身近に人体の拡張性、QOLの向上の恩恵を受けているからだ。

 

表立って出ていないだけで、発達障害を抱えた人の死亡率は、健常者にくらべて高いと言われている。社会適合性が低ければ、人間関係構築の難しさや、二次障害の発症で死亡率が上がるのだから当然だ。

今は、ただ亡くなった "a"くんと同じような悲劇が起きないよう、更なる未来の技術の発展を願っている 。

 

若くして亡くなった"a"くんご冥福をお祈りいたします。

 

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12月31日、家族で大晦日を迎えた。食卓には母が作ったご馳走が並ぶ。黒豆や煮しめ、茶碗蒸し、いくら、蒸しうに、エビフライなど、タケノコの煮付け、

もう、何年ぶりだっけか。調べてもスマホのアルバムにはしばらく写真が無い。父がパソコンからフォトフォルダから、前回家族で大晦日を過ごした写真が出てきた。

2012年12月31日、もう5年も過ぎていた。

 

言葉を失った。

 

東京で働いて、良いときも、悪いときも、もう本当に疲れて苦しいときもままあった。実家に帰るより海外いたときの方が長かった。

そんなに長い間、年末帰省していなかったのかと思うと、あー、なんて親不孝なんだろうと涙が込み上げた。

ショックで独りトイレの中で泣いた。

 

生きて帰ってきたんだから。それだけで良かったんだよ。

 

変わっていないと思っていた父は60代後半になって髪は薄くなり、母も60代になり写真よりも年老いた。

どんなに遠くにいても、正月ぐらいは帰らないと反省した。

 

身近なところで悲しい出来事が起きたあとで、生きているだけで親孝行だと思えた。

 

 

 

 

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ちょっと落ち込んでますが、最近少し元気になりました。

そのうちまた調べ物系の記事をアップしたいです。

 

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最後までお読み頂きありがとうございました。

次回もお楽しみに。 

 

外部リンク 

ヒュー・ハー: 走り、登り、踊ることを可能にする新たなバイオニクス義肢 | TED Talk

 

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