舛添東京都知事が、毎日のようにメディアに追求されています。政治資金の用途が適正だったかどうかが問題視されているからです。
だけど、問題なのは舛添知事の個人的な問題ではなく、政治資金の制度設計に問題があるので、このような自体が発生しています。
たとえ、舛添知事が辞職に追い込んで他の誰かが知事になっても、同じ問題が起きる可能性があって、元兵庫県議会議の野々村氏のような不適切な会計報告が再発するでしょう。
何が問題なのか
- 海外出張の経費が高額
- 別荘に公用車で移動
- 家族で宿泊したホテル代が政治資金から支払われた
でも法的に問題ありません。なぜなら政治活動だと支出は認められます。制度設計がおかしいのであって、舛添東京都知事を攻撃して辞任させただけでは問題が解決しません。
舛添東京都知事は、第三者の弁護士に法的に道義的に問題がなかったか調査させるということですが、記者会見での記者の質問で最も必要なことは、
「政治資金を正しく運用するにはどのような制度設計にするべきか」
が、建設的な質問の進め方です。
元兵庫県議の野々村氏の政治活動費についても、彼個人だけの問題ではなく、兵庫県議会の政治資金制度の問題です。
野々村議員個人だけが追求されていましたが、本来他の県議会議員についても適正に政治活動費が運用されているか調査されるべきでした。
しかし、制度を設計する人と運用する人が同じだと、甘く作られるのは承知のことです。
もちろん、マスコミは政治資金のスキャンダルは国民的話題性があるので、現在の制度の方が都合がよいのでしょう。
でも、そんな茶番めいたことをやっているうちに、財政破綻しちゃうかも。
その失敗は誰が責任をとるかが焦点になる日本
過去にどのような問題があったでしょうか。いくつか見ていきましょう。
いじめ自殺の責任問題
ある学校でイジメがあり生徒がイジメを苦に自殺しました。
学校はイジメの事実を隠蔽して無かったことにしようとして、メディアに大々的に取り上げられて問題になりました。
「学校の隠蔽体質はひどい。あのA校長は最低!」とバッシングを受けました。A校長は退職金を辞退するべきだ!と非難される。
論文疑惑問題
Y研究所で万能細胞Xが発見されて、研究者のB氏がメディアに大注目されました。ところが論文の内容は本当にできるのか疑惑になり、論文の著者がメディアにバッシングを受けました。悪いのは研究者B氏。指導していたC氏は自殺。万能細胞Xは再現されず疑惑が残った。B氏は責任を取るべきだ!と非難される。
デザインの盗作疑惑問題
国際的なスポーツイベントがTという都市で開かれます。ところが大会公式エンブレムが盗作疑惑が浮上。デザイナーD氏はメディアからバッシングを受けました。D氏は国民に謝罪し責任を取るべきだ!と非難される。
不適切会計問題
IT企業ライブドアは急成長して株式市場に上場。ところが、 決算報告書の利益を水増ししたとされ問題となった。代表の堀江氏は東京地検特捜部に逮捕され、実刑判決を受けた。実刑の重さについては恣意的な捜査と判決。
何が問題だったかについては ↓
ライブドア事件は粉飾なのか? - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
(恣意的な捜査と裁判所の判決内容の評価は、後世で判断されるでしょう)
その共通点はなんでしょうか。
問題の人物に責任を負わせて、問題を解決したことにすることです。
群衆のフラストレーション解消のための「生け贄」
誰かが生け贄になって犠牲になり、問題を解決したかのように見せかけることがあります。
人身御供・・・人間を神への生贄とすること
転じて、権力者など強者に対して通常の方法ではやってもらえないようなことを依頼するため、もしくは何らかの大きな見返りを得るために、理不尽にもかかわらずその犠牲になること
人々の不満や不安は、誰かが犠牲なることでフラストレーションが解消されます。
なぜでしょうか?
- 誰かが責任を取る
- その職を解かれる(もしくは辞職するor逮捕される)
- 失業する
- 経済的に困窮させて反省させる
日本社会では、失業や逮捕は社会的な死を意味します。
武士の時代では責任を果たす方法で、切腹や斬首がありました。それは死んで償い、それをもって問題を解決したことにする儀式です。
日本では「亡くなった人を悪く言ってはいけない」という文化があるため、問題の責任を追求されても自殺してしまえば、その話題は忌諱され、肝心な「本質的な問題」について触れられることはありません。
「何が問題か」を考えると本質が見えてくる
問題の本質を明らかにすることは、誰が問題か問いただすよりも遥かに重要です。
そのためには、
- 何が問題か
- なぜ問題が発生したか
- どのような過程が問題だったか
- どうすればよかったか
- 問題を踏まえてどう行動するか
を、制度設計、企業統治、組織マネジメントの観点で見ないといけません。
そうでないと、誤った解釈をします。
「誰が問題か」に論点が置かれると、権力者や既得権者が目障りだと思う人間を社会的に抹消させるために、意図的かつ恣意的に問題としてでっち上げている場合があるため注意が必要です。
また。他の重大な問題から大衆の目を反らすこともできます。
「何が問題か」を見ると、その内容が、「どの程度の問題なのか」が見えてきます。
この「問題の本質と、問題の程度」が意図的に分かりにくく報道されている場合は、注意深く考える必要があります。
もう忘れたかも知れませんが、2月にはベッキーが叩かれていましたよ。人がどう恋愛しようが勝手だし、大きなお世話だよね ↓
問題を先送りするのは我が国のお家芸なので、過去から学んだ方がいいかも。

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「誰が問題か」は「正義と悪」の構造です。相関関係は対立軸だけですので、子どもでも簡単で分かりやすいです(アンパンマンVSバイキンマン、ウルトラマンVS怪獣)。
「何が問題か」を考えるためには、知性が必要です。
特に、隠された本質を見抜くことは、自分が騙されず、経済的に損をしないために必要なスキルです。
騙されて、損をしたくなければ、本質を見る目を鍛えましょう。

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