
私の小学生時代、自分自身がADHD(注意欠陥多動性障害)だと知る由もなく、毎日元気に公立の小学校に通っていました。
案の定、ADHDの特性の一つの「忘れ物が多い」子どもで、「宿題をやってこない」など当たり前で、さぞかし担任の先生は困っていたことでしょう。
宿題倍増ペナルティーの思い出
私の小学4年生のときの担任は30代後半の女性の先生でした。
私があまりにも宿題をやてこないので、クラスの児童たちに
「どうしたらピコシムくんは宿題をやってくると思いますか?」というクラス会議が開かれました。
その結果、
「宿題をやってこないと、その2倍の量の宿題を出すペナルティー」をクラスの誰かが思いつきました。
先生も「それはいいアイディアね」と賛同し、この案が採用されました。
ところが、宿題の量が倍になるという仕組みは普通の人には良いアイディアでしたが、
私は当然のように宿題をやらないので、一週間あまりで、宿題が雪だるま式に増殖していきました。
元々の宿題 = 漢字と算数の自主学習 2ページ
1日目のペナルティー = 4ページ
2日目のペナルティー = 8ページ
3日目のペナルティー = 16ページ
4日目のペナルティー = 32ページ
・・・
7日目のペナルティー = 256ページ!!
黒板の左上に縦書きで、「ピコシム君/宿題256ページ」と書かれましたが、
結局1ページもやらないまま、先生はこの方法を7日目で諦めたのは言うまでもありません。
本人は決して反抗的な態度を取っていたわけではありません。
ただ、家に帰ると宿題をする気が何も起きない以外は。
小学3年生以降の家庭学習が皆無だった小学校時代
今思うととんでもないことですが、宿題を含めて家庭学習をした記憶がありません。小学2年生ぐらいまでは漢字の書き取りを、漢字辞典を使って毎日漢字練習ノートに書いていました。
ところが、小学3年生以降の宿題をまともにした記憶がありません。
国語の教科書の「音読」
音読の宿題は毎日でました。音読カードなるものが存在して、子どもが音読をしたら、親が音読カードに日付を記入して印鑑を押し、音読の宿題をしたか先生が確認するシステムでした。
面倒だった子ども頃の私は、音読カードに自分で印鑑を押して先生に提出していました。小学生ですが有印私文書偽造罪でお巡りさんに捕まりますね。
宿題のプリント類
宿題のプリントはランドラルの中に入ったままか、学校に忘れてくることが多かったです。家では宿題をやらないので、朝早く学校に行って宿題をすれば問題はないのですが、朝登校する時間は毎日遅刻ギリギリです。宿題を集めるのは、登校時間直後の朝自習が始まる前なので、宿題の提出は出来ないのでアウトでした。
夏休み・冬休みの宿題
ADHDの特徴として、「計画性の欠如」があります。長期計画が必要な夏休みの宿題は、最も影響が甚大です。夏休み1日目、2日目はちょっと宿題をしますが、3日目から毎日遊んで宿題をしないパターンです。
朝のラジオ体操だけは毎日習慣になって行っていましたが、夏休みの宿題はやる気が起きず、母親に早くやりなさいと怒られていました。
夏休み前に学校で書かされた1日の過ごし方の計画は、宿題の時間が1日たりと守られることはありませんでした。
普段の宿題でさえ満足にしないのですから、夏休みや冬休みの宿題が終わる確立は限りなく0%。サザエさんの「カツオ君」やドラえもんの「のび太くん」同様、
最終日に父親と宿題をなんとかギリギリ終わらせて、新学期を迎えていました。
子ども時代の私はなぜ宿題をやらなかったのか
ピコシムくんは何をしてるんだ!とお叱りを受けそうなので、言い訳をすると、
- 宿題をやろうとしても気が散って集中できない
- 宿題をやり始めるときに気持ちが切り替わらず不快
- 宿題で分からない問題が多く非常に面倒
- 分からない問題の解き方を聞くと父親から、こんなのも分からないのかと怒られるので聞かない
- 宿題をしなくても別にいいやと思っていた
そんな当時の私が小学校から帰宅した後の一連の行動を振り返ると、
- 夕食を食べ終わった後、家族でテレビタイムのため宿題をする時間がない
- テレビタイムのあとは夜9時に子どもは寝かされる
寝る時間までに宿題が終わっていないと怒られるので親に言わない - 両親は私が宿題を終わらせたと思っている
- 両親は私の宿題が終わったかどうか確認していない
そうなると、宿題をしない習慣が当たり前になりました。
もちろん宿題をしなければいけないことは、子どもの私自身は分かっていましたが、「先生に注意されるだけだし、別にいいや」と全く意に介さず、宿題を全くやらなかったのでした。
ADHDの子どもはどうしたら宿題をするか
もし、20数年前の小学生のADHDの自分に宿題をしてもらうなら、
-
宿題が出た直後の学校の休み時間や、放課後の教室で宿題をしてもらう
-
家でする宿題の量を減らすか、宿題を出さない
- 分からない箇所は、直ぐに調べたり教えてくれる環境をつくる
ことが、ADHDの私の特性に合っている良い環境です。
なぜなら、家に帰ってからだと集中力が途切れて一つも終わらないからです。
普通の小学生なら、プリント1枚15問程度の宿題なんて、家に帰ったら40分ぐらいで終わるだろうと思いますが、
ADHDの私の場合、「宿題やる気のスイッチ」がOFFのままでした。
宿題やる気スイッチがONになっているのは、せいぜい学校にいる時で、
宿題が出た直後がやる気のピークです。
当時私が通っていた小学校では、家庭学習の習慣をつけるために
- 学校で宿題をやってはいけないという規則
- 予習をしてはいけない規則
がありました。子ども達は先生の言うことは絶対なので、学校で宿題をやると先生に告口されて怒られました。
また、当時はインターネットはありませんので、宿題の分からないところは親に聞く以外ありません。
私の母親は「自分で頑張って考えなさい」と言うだけだったり、
父親なら「そんなのも分からないのか」と怒るだけだったので、
今なら、インターネット上で情報は沢山ありますし、社会的にもADHDも理解が進みましたから、環境さえあればどうにかなりそうです。
特に、宿題や家庭学習どんな工夫をされていますか?我が家の場合の記事は、ADHDの子どもの家庭学習のノウハウが体系化されていて素晴らしいです。
うちでやっている家庭学習をやる気にさせる工夫
- 集中しやすい環境を作る
- タイマーを使う
- トークン(ご褒美制)を使う
- 好きな刺激で集中力を上げる
- 場所や状況を変える
- 取り掛かるための工夫
この方法は、ADHDと診断された後で、自分なりに工夫しているうちに、実際に実践している方法でした。これはとても楽に行動できます。
大人になってみて変わったこと、変わらないこと
学校の宿題自体は、大人になってからそれほど役に立ったかよく分かりません。
しかし、
長期的な計画を立てて自分で終わらせることや、
与えられた課題を期限までにやり遂げること、
は、大人になってからのほうがシビアに要求されることは言うまでもありません。
大人になってから変わったこと
宿題は出なくなったので、子ども時代よりもずっと楽です。
仕事はやればお金になりますので全く苦ではありません。
また、やるかやらないかは自分で選択できる環境になったことも子ども時代と変わったことです。
大人になっても変わらないこと
大人になって宿題は出なくなりましたが、相変わらず、
家に帰ると何もやる気が起きない状態は、子どもの頃と何ら変わっていません。
このブログでさえ、記事の作成は必ず自宅以外で書いています。もっぱら通勤時間や、仕事の休み時間、ファミレスやカフェで隙間時間を利用しています。
結果として、自宅以外の場所で書いた方が自分にとってずっと集中できますし、時間も決められているので自分には向いています。
小学生時代の自分にアドバイスをするなら
小・中学生の頃は宿題を全くしなかった私ですが、それから数年後、地元を離れて関東にある国立大の理系大学院生になりました。
所属した研究室の自主ゼミで、研究分野のレジュメ作成(A4で二十数枚)という何倍も難しくハードな”宿題”が課されました。
そのとき、ADHD特有の過集中に助けられ、何日も研究室に泊まり込みでギリギリまで十数冊の文献を読みこんでレポートを作成して発表していました。
あの頃に比べれば、はてなブログを書くことは何倍も気が楽ですし、そのときの経験のお陰で文章も割と楽に書けるようになりました。
もし、小学生時代の自分にアドバイスをするなら、こう伝えるでしょう。
学校の勉強は大事だけれど、自分の好きなことを見つけて突き進んだほうが君の人生を楽しくするよ。もし、自分が将来行きたい場所が見つかったら、そこに行くために努力を惜しまないできっとやり遂げられるよ。
ADHDを持つ全ての子どもたちが、小中学校時代に自分の特性にあった勉強方法が見つかって、興味分野で活躍できる場所を見つけられたら、今よりも世界がもっと楽しくて、豊かな社会になるかなと思ったピコシムでした。
学校で浪費される無駄な10年をどーにかすべき論 - Chikirinの日記
最後までお読み頂きありがとうございます!
次回もお楽しみに!
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