こんにちは、ピコシムです。
トイアンナさんが、
社会の底辺から階層を上ると、努力しない底辺が許せなくなる - トイアンナのぐだぐだ
を読んで、 めちゃくちゃ共感して、かつての自分がそうだったなって思ったこと。
あきさん、という方が書いたブログ、
社会の底辺の人とは関わってはいけません にあるように、
第1階層 上級公務員、経団連加盟大企業勤務者、難関国家資格、成功した起業家。配偶者含む
第2階層 2流中規模会社勤務者。
2流公務員第3階層 中小企業勤務者、ニート
第4階層 フリーター、非正規社員、派遣社員、飲み屋、風俗嬢など売春婦
この階層について、昔の自分も同じように思っていました。
きっかけは、10年前に読んだこの本。読んだ人も多いのではないでしょうか。
★★★
私自身、関東にある国立大学院にいた時代は、何もかもがうまくいき、それがずっと続くと信じて疑わなかった。
人生勝ち取ったんだという自信と、
これからずっと成功していくはずだという驕り、
努力もしないで不平不満を口にするなんて何なんだ。。。という軽蔑感情。
まさに、『成功者バイアス』の典型例です。
成功者バイアスとは
苦労して立身出世した人が、自分の目線だけで成功体験を語ることだ。時には、他人の不幸を努力不足と判断してしまう弊害もある。
有名なものではワタミの創業者による「無理というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」といった発言がある。
トイアンナさん自身も、過去の気持ちを綴っている。
そのとき私ははっきりと自分がいた世界を軽蔑するのを感じた。南スーダンへは寄付できるけど、こいつらは助けたくない。だって、努力せず底辺にいるこいつらなんて許せない。
でも、人生良い時もあれば、悪い時もあります。
その後、私は大学院を卒業した後で、
これまで、順風満帆な人生ゲームは、オセロの盤面のごとく、たった1回の黒いコマが置かれた途端、一気に逆転され劣勢に立たされる経験をしました。
私自身、トイアンナさん同様、精神疾患に陥りました。職場の上司からのパワハラ、モラハラによって、萎縮し、思考停止し、うつ病になりました。
その後、失業も相まって、尊大だった自尊心は崩壊します。
- その過程で、初めて経済的貧困状態の中で、精神的な余裕が剥ぎ取られるストレス、
- 精神疾患状態の人が受ける、無価値観、未来への絶望、無気力から抜け出せない葛藤
を経験しました。
自分が社会的有利な立場から、社会的不利な立場に放り込まれ、そこで芽生えた妬み、嫉妬、劣等感、絶望、空虚、嫌悪のマイナスの感情は本当に辛く根が深い。
この感情を経験したときに、初めて自分自身の過去の身の振る舞いを振り返ります。
『あのとき、相手の気持を考えずに、酷いことを言ってしまったな』
『きっと今の自分のように相手は傷ついていたんだな』
と、自分が相手の立場と同じ位置になって初めて理解できました。
だから、もし次にあった時は、
- 単刀直入に言うと嫌な気持ちになるから、人が傷つかないような表現にしよう。
- この話は傷つきそうだから言わないでおこう。
と思えるようになります。
そのとき、同じ経験をした人と同じ目線になって、初めて人に優しくなれるのです。
どんなに知識が増えようが、ネットやテレビで悲惨な体験を知っても、燦々たる体験をした人と同じ気持にはなれないのです。
自己責任論も行き過ぎると社会不安が増幅する
社会的不利な立場を体験して、もう一つ感じたことがあります。
うつ病などの精神的疾患、発達障害などの脳の機能障害、
貧困状態や不安定な労働環境で働く人は、個人の努力不足や、個人の忍耐力不足・能力不足・努力不足・であり、それらは『自己責任』であると、多くの人が解釈します。
大人の貧困や失業は、そのような人生を選んだあなたの自己責任でしょ。
だから助けなくても良いという考え方です。
これは、『根本的な帰属の誤り』という人間が誤った判断をするときの特徴の一つです。
根本的な帰属の誤り
個人の行動を説明するにあたって、気質的または個性的な面を重視しすぎて、状況的な面を軽視しすぎる傾向
のことを言います。
同じ状況に置かれた人がほとんど同じ行動をする場合、その状況がその行動の原因であると考えられる。
安定的な仕事希望するにもかかわらず非正規労働者になっている人、
社会的に貧困状態にあるシングルマザーの問題、
相対的貧困状態にある6人に1人の日本の子どもたち
パワハラ、モラハラ、セクハラを受けて精神疾患になった人たち
これらを、『自己責任』の名の下で、個人的素質の問題、個人の能力の問題、個人の努力不足の問題にしてしまうことは、根本的帰属の誤りなのです。
特に日本の場合、労働問題や貧困問題は、個人の問題として片付けられがちです。
国連から是正勧告 日本の長時間労働と奴隷状態の29万人の存在
社会システムを作っている立場の人は、自分が体験や経験したこと以外は分かりません。統計データや文献を駆使しても、その感情に辿り着くことはありません。
これは、誰が悪いといか、政治が悪いとか、官僚が悪いわけではなく、
人間は、ある人の失敗を、その人の個人の『自己責任』として判断する特徴があることを理解する必要があります。
もし、社会システムを作る側の人たちの中に、同じような経験をしていれば、
「あの状況なら、誰しもがそのような状態になっていた」と理解し、社会システムの改善するサイクルが働き始めます。
しかし、そんな人は滅多にいないし、階層が固定されると、社会システム、制度、ルールを作る側の人間だけしかいなくなります。
社会的有利な人はますます有利な立場になり、社会的不利な立場の人が更に不利な立場になります。
制度やルールを作る側の人には伝統的な行動規範が存在します。
位高ければ徳高きを要す
という言葉は私の好きな言葉の一つです。
ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)は、フランス語で貴族の義務と言います。
財産や権力があり、社会的立場が高い人は、倫理的に社会の模範となる行動責任があるという意味です。
ひとりの人間の経験や想像には限りがあります。
だから、
- 同じ状況で自分ならどう行動するかを自問する。
- 見えない原因を探す。
出来る限り、相手の立場にたって考え、隠れた問題の本質を探しだす知恵が必要です。
階層と感情
私の場合は、自分の脳機能の障害 ADHD(注意欠陥多動性障害)に気がつくまでの5年間、いろいろな困難にぶち当たりました。
そのなかで、「上から目線」という感情を学習しました。
もし、自分が社会的有利なポジションを獲得して、第4階層の人に、第1階層の世界を話しても、
「何さ、上から目線で腹立つんだけど、今の状態で別にイイし!成功したからって調子に乗ってんじゃないよ!」と怒られ、聞いてもらえないだけです。
もし、第1階層の人に第4階層の世界を話しても、
「またまた、そんなの冗談でしょ。全然想像できないよ」と言われるのが落ちです。
結果、第4階層から這い上がってきた第1階層の人は、元々自分自身の階層の人たちに、
何で努力しないの?
何で今のままで満足してるの?
なんでずっと変わろうとしないの?
という気持ちになる。
でも、逆の立場になってそれを言われた時、この話は本当にどうでもよくて、単に鬱陶しく、腹ただしく嫌な思いをします。
で、それが何なの? 勝手に自分だけ這い上がて成功したらいいでしょ!
って感情に変わります。
自分自身が、社会的に不利な状況を経験して、その感情が生まれて初めて分かった瞬間でした。
両方の階層を行き来して知っている人、体験した人にしか解らない感情は、同じ階層だけにいた人達からは理解されません。
だから、多くの階層を移動した人たちは、『違う階層の話は、聞かれないかぎりは言ってはいけないこと』と学習します。
なぜなら、両方経験し、その感情を知り得なければ、それは単なる差別感情になり、「上から目線」に陥りやすくなるからです。
この本を10年前読んだ時は衝撃が走りました。
最後までお読み頂きありがとうございます!
次回もお楽しみに!
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